2011年8月8日月曜日

ペリーの黒船が見えなかった人たち

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私は、人間の体はまったく出来が悪いと考えています。特に出来が悪いのは認識能力です。外界認識の多くを担っているのは視覚ですが、まず目が2つしか無いのが致命的。そのうえ一方向だけを向いている。

そもそも視覚というのは脳が認識しないと見えないものです。その一例として脳梗塞を起こした人に現れる「半側空間無視」という症状があります。右側か左側、どちらかの半側からのあらゆる刺激、視覚、聴覚、触覚などを認識できなくなる症候のことです。左側が見えなくなる状態というのは、荒木飛呂彦の漫画「スティール・ボール・ラン」にも出てきました。

眼球の機構はカメラと同様のもので、映し出される映像は脳によって処理されます。見るということは、脳が認識するということであって、物理的に「在る」こととは別の現象なのです。

で、こんな面白い話があります。

1520年、世界一周を目指すマゼランの大型船団が、南米最南端のフエゴ島に到着したときのこと。マゼランたちは、島の湾内に大型帆船4隻を停泊させて上陸しました。島民たちは驚きましたが、マゼランたちがどうやって島に来たのかが理解できませんでした。なぜなら、彼らの目には湾内に停泊していた4隻の大型帆船がまったく映らなかったからです。彼らの目には、大型帆船の向う側にある水平線が見えていたといいます。

フエゴ島の住民は、普段カヌーを使っていました。大型帆船というものの存在を知らなかったため、脳が認識できなかったのではないかと言われています。ドラえもんで云う「石ころ帽子」みたいな感じでしょうか。

マゼランと同様に、江戸時代後期にアメリカからペリーの黒船が浦賀沖にやってきたときも、多くの人には黒船が見えなかったという話もあります。あまりに大きく鉄でできた蒸気船は、船という概念で捉えられなかったのだということです。

こちらは時代が進んでいたこともあって、全員が見えなかったわけではありませんでした。海外の高度な技術や、時代の変化を感じていた人たち(勝海舟や吉田松陰など)は、その姿をはっきりと捉えていました。そして世間で騒がれるにつれ、だんだんと人々も認識していったのだと思います。

安部公房の「箱男」も同じような話です。こちらは小説ですが、箱に入った浮浪者が一般人の世界と相容れないもの、として描かれています。普通の人たちの目には映りません。

もしかしたら、今も空にはUFOがたくさん飛んでいるのかもしれません。それどころか、異様な風貌の宇宙人だか未来人が堂々と道ばたを歩いているのかも。我々が見えないだけで。ジョン・カーペンター監督の『ゼイリブ』がそんな話でしたね。

目に映るものでさえ認識できない人間が、目に映らない放射能の恐ろしさを認識するのは、なかなか難しいことなのだと思います。

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