2012年7月17日火曜日

福島の後に沈黙している事は、野蛮だ。

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さよなら原発“大集会”で、坂本龍一氏が檀上で言った言葉が賛否両論を呼んでいます。

「たかが電気です。たかが電気の為に、美しい日本とに本の未来の子供達の命を危険にさらしてはいけない。金より命です。子供を守りましょう。国土を守りましょう。福島の後に沈黙している事は、野蛮だ。」

*  *  *

この言葉に批判的な人たちは「たかが電気」というフレーズに反応しているようです。その意見はだいたい、脊髄反射で怒り心頭の幼児的なものか、冷静ポーズをとり続ける似非インテリのどちらか。

坂本氏の言う「たかが電気」というのは、電気の必要性を軽んじたものではなく、命を危険にさらすことはない、という意味での「たかが」ですよ?

電気はガスコンパインド火力でも、水力でも風力でも太陽光でも潮力でも作れます。その「たかが電気」を国土と人命を奪う原子力で作る必要はまったく無い、ということです。なんでこんな簡単なことが分からないのか!

*  *  *

それより、印象に残ったのは最後の言葉。
「福島の後に沈黙している事は、野蛮だ。」

3.11以前から、私は日本特有の暗黙の了解に少々の違和感を持っていましたが、あの事故以来、その理由が分かってきました。現代に生きる日本人の多くは、空気を読むことと、人との繋がり(絆?)だけを指針として行動しているのです。

彼らは人当たりが良く、仕事も出来るし、アタマも良い。ですが、本当の意味での教養と知性、論理的思考が欠けている。日本は経済的には成功しましたが、精神的、文化的には非常に幼い。むしろ経済発展によって、知性を失ったのかもしれません。それが「不作為の野蛮」に繋がるのです。

少しも大げさでなく、原発の有無は人類の存亡に関わっています。日本で起きた原発のシビアアクシデントを、科学文明の転換点としなくてはいけません。今日の大集会を見れば、遅いけれども着実に、脱原発の動きは大きくなっています。なんとか間に合って欲しい。

といっても何もデモだけが行動ではありません。
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2 件のコメント:

  1. 通りすがりの者ですが、私も「福島以後の沈黙は野蛮」という箇所がもっとも心に残りました。自分達を結果的に苦しめるような政治家を選んできたのは、「誰がやってもどうせ同じさ」とか「無党派層」という甘言をいいことに、選挙にも行かず、自分の政治・社会に対する判断力を放棄、他人の判断に自らを丸投げ、何かを問われれば「オラ関係ない」と逃げる。消極的「賛成」は最終的には「荷担」だと私は思います。

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    1. pochodabwooさんこんにちは。

      おっしゃるとおりです。教育、マスコミ、その他もろもろによって、自分たちが国の主権者であることを忘れさせられているんですよね。でもネット世代は、そうやすやすとは騙されないはず。最近は、少しずつ変わっていってるような気もしています。

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